ハバロフスク市滞在最終日前夜 参加者全員「異国の丘」奉唱 於インツーリスト・ホテル |
法要団による追悼法要 真言宗智山派智積院僧侶 於シベリア平和慰霊公苑慰霊塔前 |
追悼式参加者 於オルガ劇場
慰霊公苑追悼式実施記録
日 時 1995年9月12日13時
場 所 ハバロフスク市オルガ劇場2階ホール
司 会 厚生省事務官 北原 久文
(以下記載は本会理事・渡辺時雄収録録音テープの再生)
開式の言葉
ビリポプ・ハバロフスク市長が開式の辞を述べた。
今日はシベリア関係志望者の慰霊と日ロ親善友好のための
平和祈念公苑が建設されました。この慰霊公苑は、日ロ政府が日ロ平和と日ロ両国民の
友好親善の象徴として永久のものとするため出来る限りの努力をしてきました。
慰霊碑は、平和と統合を合意、善隣友好の強化そして今までの暗い部分を反省し合って
2度と繰り返してはならないことの両国民の誓いと希望を表徴するものであります。
式辞
厚生政務次官 長瀬甚遠
本日関係御家族を始めロシア連邦政府関係者各位、
在ロシア日本大使館関係者各位など多数の方々の御参列を経て日本人死亡者慰霊及び
平和慰霊公苑竣工の式典を執行いたしますことは誠に意義深いことと存じます。
省へり見ますれば、先の大戦の後1945年から1954年にかけて、この大地おいて多くの日本人が
祖国えの帰還を夢見ながら亡くなられたのであります。そして今、この地に立って
往時を忍びますと痛恨の情ひしひしと胸に迫るのを禁じ得ないのであります。
日本国政府は永久の帰還の希望叶わず、この大地に於いて逝くなられた
日本人死亡者を偲び且つ多くの死没者の犠牲を得て築かれた本日の平和の尊さを深く認識し、
亡くなられた方々を永久に追悼し、また、恒久の平和を祈念する碑を是非建立したいと希望していました。
此の度ロシア連邦政府並びに関係省各位からの深甚なる御理解とご協力賜り、
ここハバロフスク市の地に日本人死亡者の慰霊碑の竣工を迎える運びとなったのであります。
この慰霊碑は、戦争がもたらした悲惨の結末を私達は2度と繰り返さないことを誓い、
日本とロシア連邦と各国とのゆるぎない友好を誓い、
国際平和を尊ぶことの証しとなるものと確信するものであります。
今日、未だに武力闘争の絶えない地域も有るとはいえ、国際社会は平和を求める人類の願いがあります。
日本国政府は、平和主義を国是としてロシア連邦はじめ近隣諸国と相携えて国際全体による
平和確立への道を歩んで行く所存であります。このような努力こそがこの大地において
祖国を想いつつ亡くなられた日本人死亡者に対して私達が果たして行くべき責務と信じるものであります。
終わりに、これら死亡された日本人の方々に追悼の誠を献げるとともに
関係御遺族に衷心より敬意を表し皆様の今後の御平安を切に祈念いたします。
平成7年9月12日 厚生政務次官 長瀬 甚遠
式辞
財団法人太平洋戦争戦没者慰霊教会 会長 瀬島 龍三
シベリア・モンゴル、極東ロシアそして旧ソ連各地に鎮まりますわが戦友の皆様、
何時もヨーロッパへ行く飛行機の中で上空から襟を糺して皆様に哀悼の辞を捧げておりました。
今日は、こうしてシベリアの大地に立って来賓の皆様、
遺族の方々そして戦友の大勢とともに慰霊式を行うことは誠に感無量であります。
想えば1945年8月15日我が国は昭和天皇の御聖断によりポッダム宣言を受諾し、
あの第二次大戦を終結いたしましたが、その直後、吾々約六十万人の日本人が
シベリアに強制連行され旧ソ連の各地において粗悪な生活環境の中で
極寒に堪え空腹を凌ぎ強制労働に服しました。正に終戦の時詔勅に示されました
「堪エ難キを堪エ、忍ビ難キヲ忍ンダ」毎日でありました。
その間吾々は、何時の日か必ず生きて祖国の土を踏むことの夢を持ち続け、
興安丸、舞鶴、緑の祖国そして最愛の肉親との再会の日を祈りながらも遂にこの地に於いて
尊い生命を散らした戦友は六万余人を超えています。この心情を想えば誠に無念であります。
その悲運たるや正に日本国家に殉ぜられたのであります。私どももこの地において共に抑留生活を送り、
また共に労働に服しながら祖国の土を一緒に踏むことが出来なかったあの哀しい戦友の面影を
今思い出し感慨無量であります。こうして生き残った者の努めとして有志相計りまして
大地に眠っておられる戦友の皆様の鎮魂と慰霊のシンボルとして日本政府にお願いし、
全抑留団体、遺族会、全戦友会団体及び広く国民の皆様、ロシア政府並びにハバロフスク州、
ハバロフスク市のご協力によりまして、本日このような慰霊公苑の竣工式、また今後における
日ロ両国友好親善の場として平和慰霊が進められますこと誠に感慨無量であります。
そして、多くの来賓、多くの御遺族の方々と共に此の地に於いて慰霊追悼の式典を執り行い
国家に殉じられた方々の永久に安眠なされますことを心から祈念して止みません。
また、この慰霊公苑が日ロの平和友好の証として世界の平和友好促進として
永久に役立ちますことを期待して止みません。最後に日本国天皇皇后両陛下におかせられましては
異国の地に於いて無念の最後を遂げた吾が戦友の事を深く心を痛められまして皇族方とともに
哀悼の供花を下賜されましたこと謹んで皆様方にご報告致します。
戦友のみなさん。どうぞ安らかにお眠り下さい。
平成7年9月12日 財団法人太平洋戦争戦没者慰霊教会 会長 瀬島龍三
式辞
ロシア連邦代表 ハバロフスク市平和委員会議長 ガリーナ・ポタポヴァ
尊敬する皆さん、私共は本日慰霊碑並びに平和慰霊公苑竣工式を挙行することが出来ました。
この施設は地球上の全人類が先の大戦を終結した記念日に充てて竣工したものであり
地球上の出来事でもあります。
終戦を迎えたと言っても自分の父や肉親の方々が今に至るも
何処に埋葬されているかが判らなければその家族には戦争が終わったとは言えません。
戦争は哀しいものであり、悲しみの民族に違いはありません。
慰霊碑並びに平和公苑の建設によって多くの日本人はハバロフスク市に訪れ慰霊することができ、
更に日ロ両国の親善友好と平和の象徴として永久の役割を果たすものと信じます。
公苑建設資金を寄付したすべての日本人に対して心から感謝致します。
施設はさらに両国の文化、友好親善の交流の場となり、青少年、子供の歌声の響く良い広場となりましょう。
私達は、過去を反省し新しい戦争や争いを二度と繰り返してはなりません。
本日此処でローソクの光でこの慰霊式を行いました。
それは出席者の皆様のご家族のご幸福や出席された皆様のために世界の平和を祈って
私の父や皆様の亡くなられた戦友たちが導いて下さったものと信じます。
出席下さった皆様とご家族のご健康をお祈りいたします。
日ロ友好が永久に続きますようにお祈り申し上げます。ご静聴有難うございました。
追悼の辞
ロシア連邦日本国大使
先の大戦終了後、シベリア台地において抑留中に多くの日本人の方々が亡くなられたことは
不幸な事実として私達の脳裏に深く刻まれています。このシベリアの大地において
祖国へ生還を夢見ながら亡くなった御霊をお慰めするために日本人死亡者慰霊碑が
ロシア政府並びにハバロフスク州及び市当局並びにロシア国民の御理解とご協力により
このハバロフスク市に建立されました。これは多くの日本国民の願望でもありました。
本日はロシア政府から連邦政府を代表する
コベシッツ・ロシア政府外務省ハバロフスク州・地方省当局代表・マトベール代表副知事、
ハバロフスク市当局代表・ヒートフ局長殿をはじめとして多数のロシア関係者の皆様、
又日本側から長瀬甚遠厚生政務次官、国会議員の多くの方々及び御遺族の方々並びに
建設工事関係者の方々の御参列を得て厳粛の中にも盛大に式典が挙げられましたこと、
ロシアに在住する日本大使と致しましても万感胸に迫るものがあります。
日本人死亡者慰霊公苑の建設は先年10月エリツン大統領の訪日の際に行われた
率直な謝罪の表明とともに日ロ両国民の精神的な和解を築く上で重要な意義を持つものであります。
また、この慰霊碑は過去の負の遺産を克服しつつ未来に向けて両国関係を発展させて行こうとする
吾々にとって極めて重要な慰霊塔であると言っても過言ではないと思うのであります。
吾が国とロシアとの間では既に多くの分野で交流や協力が進められておりますが、
こうした努力を一層継続させてエリツン大統領が訪日され、署名された東京宣言を基礎に
領土問題を解決して両国関係の完全な正常化を達成することが重要であると考えます。
今年は先の大戦が結集して50年という節目の年にあたります。
この記念すべき年を迎え、本日ご列席の皆様とともにこの大地で亡くなくなられた
皆様の御魂をお慰めすることが出来ますことは私にとってこよなく光栄であり弔意を表するものであります。
またこの場をお借りしてこの土地を提供して頂いたロシア政府関係者並びに
このような立派な慰霊碑を完成して頂きました皆様に心から敬意を表する次第であります。
終わりに、本日ご列席頂きました総ての人々の幸福と発展並びに日本とロシア国との
友好関係が益々深まることを祈念して追悼の辞といたします。
平成7年9月12日 ロシア連邦駐在特命全権大使 渡辺 幸治
追悼の辞
遺族代表 横山 サチ
先の大戦終了後シベリアに抑留されて亡くなられた皆様方に謹んで追悼の辞を申し上げます。
本日ロシア連邦ハバロフスク市に皆様方と慰霊するため日本人死亡者慰霊碑が竣工し
ロシア連邦及び日本政府の代表者、来賓等多数の方々の御参列のもと
竣工追悼慰霊式が行われることは遺族の1人として誠に感謝に堪えません。
想えば、私達肉親をはじめ多くの軍人や一般の人が終戦後シベリア等に連行抑留され、
強制労働のため遂に5万人以上の人々が帰らぬ人となりました。ただただ皆様方の帰国生還を信じ
戦後混乱の中、必死に生き抜いている最中突然に死亡の知らせを受け取ったあの日の驚きと
悲しみを遂昨日のことのように覚えているのは私ばかりでは無いと思います。
まして故国を想い家族を案じつつ帰国の夢を果たせず遂にこの地で帰らぬ人となった方々の
無念の思いはいかばかりでありましょうと熱い涙がこみあげてまいります。
私たちは亡くなられた全ての人々をお慰めするため日本の遺族を代表して遥々と
ここハバロフスク市にやって参りました。この間私達遺族は苦難に充ちた日々の中で
歯を食いしばって励まし合い助け合って平和で豊かな日本を目指しひたすら努力を重ねて参りました。
皆様、御覧下さい。本日参列された御遺族の方々の元気な姿を。
立派に成長された御子息の姿を。
皆様方の犠牲のもとに築かれた平和で豊かな社会の中で元気に活躍されている御兄弟、姉妹の姿を。
皆様どうか安らかにお眠り下さいませ。
此度慰霊碑の建立に際しロシア政府と関係者の皆様から頂いた深い御理解と
ご協力に対し心から感謝申し上げます。また、ロシア連邦の益々のご発展とロシアの皆様の
ご多幸をお祈り申し上げまとともにこの日本人死亡者慰霊碑の建立を機に両国国民の
相互理解と信頼を深め、このような悲惨な出来事を2度と繰り返さないようにするための
下地となることをお祈りして追悼の辞と致します。
平成7年9月12日 遺族代表 横山 サチ
追悼の辞
シベリア抑留議員連盟協議会 会長 江藤 隆美
この竣工式に長年携わって参りました国会議員の代表の方々が本日お見えになっています。
また、長い間百数十名の同志の皆様がシベリア抑留問題を解決するために日夜努力をした
全抑協の皆様と力を合わせて今日に至っております。
それらの国会議員の皆様を代表いたしまして本日は総務庁長官でなく
国会議員代表として追悼の辞を申し上げます。
本日、ハバロフスク市に於いてロシア連邦政府及び日本政府の関係者各位又ご遺族、
戦友の御参列を得て日本人死亡者慰霊碑並びに慰霊公苑の竣工慰霊追悼式を挙行されるにあたり、
先の大戦の後このシベリア等の地に於いて祖国日本の家族のもとに帰る日を望みつつ
亡くなられた同胞の皆様方に謹んで哀悼の辞を申し上げます。
省みますれば皆様方は先の大戦終結後束の間、中国、当時の満州、南樺太、
千島列島或いは朝鮮半島などの地域からこのハバロフスクを含むシベリア各地に抑留され、
その後多勢の戦友とともに極寒の地にて強制労働に服し、飢と病気等に堪えながら筆舌に尽くしがたい
苦難に充ちた時期を余儀なくされ遂に祖国の土を踏みことなく無念にも斃れたのであります。
今この地に立って在りし日の皆様方を想うとき誠に堪えがたき苦痛の想いが胸に迫るを禁じ得ません、
最愛の肉親を失い計り知れない悲しみと苦難に耐えてきましたご遺族の心情を察する時
又生死を共に髪を引かれる思いで帰還された戦友を想うとき万感胸に迫り言葉もありません。
ここに謹んで皆様のご冥福をお祈り申し上げる次第であります、本年は先の大戦終結して
50年になるという節目の年であります。私共は本日享受している平和を礎とし、
祖国の将来を案じ故国を離れて斃れた多くの同胞の重い尊さがありましたことを忘れることはありません。
この皆様方の重く尊い犠牲を想うとき世界の恒久平和を願わずにはいられません。
私たちは皆様方の前にご遺族の皆様方の今に至るも癒すことのできない深い悲しみに
思いを致すとき世界の恒久平和の実現に向けて更なる努力を続けて参ることを
固くお誓い申し上げる次第であります。
終わりに皆様方が永久に安らかにお眠り下さるようお祈り申し上げ、
また、祖国の御遺族の方々の行く末にご加護給わりますことをお願いし上げて追悼の辞と致します。
平成7年9月12日 シベリア抑留者議員連盟会長 江藤 隆美
遺族奉唱
平和慰霊公苑を守る会 会長 松島 トモ子
フィードロフ地区で亡くなった父の様子をお知らせ下さった戦友の方々に教えて頂いた曲で、
抑留者が口ずさまれたという曲を奉唱します。
曲名 「シベリア夜曲」
作詞作曲者不詳
ああシベリアの七つ星 眺める夜空は変らねど
生息も凍る密林に 拓くいばらの身はさびし
ああ果てしない山や川 無事で帰ったその時は
肩をたたいて母さんに 語り聞かそよ北の星